2008年09月19日

停電

台風13号がフィリピン東海上で生まれたのは9月9日、まさかこちらにやってくるとも思わずにいたが、11日かけて我が家近くにやってきた。稲刈りも済んでいない者にとってはかなわない。大雨・強風に付ものは停電、懐中電灯・ランプを点検しておかなくてはと、あちこち目をやるようになる。石油ランプが我が家のメインの灯りとなるが思った、テレビもパソコンもなにもかも停止して、暗闇に聴こえる川の音、幽かに残っている風の音、この安らぎはなんだろう。本当に他愛もない二人だけの話が静かにできるこの時間を大事な時間に思えるのはなんだろう。日常に疲れた人間を癒すのは、涼しい風、暖かい炭の火、冷たい川の水、そうだ、暗くなれば暫し行燈にロウソクをいれて床に就く、夜が明ければ起きて一日を始める、それでいい、それでいこうじゃないか。2日と持たない。
posted by い和 at 10:48| Comment(2) | 日記

2008年09月16日

夫婦春秋

敬老の集い、うっかり出欠の葉書を出し忘れていたが、「あなたは出席になっております」でも葉書が手元に、まあいいと参加させてもらった。親がダイヤモンド婚の表彰とはこれも迂闊だった。表彰があって、例の通り代理の挨拶があって、アトラクションが始まるのだが、地元のご婦人の表情豊かな踊りが会場を魅了する、昨年に続いて飛び入りの市五郎さん、今年は落語だった、「ラブレター」花を並べた文句に返事が葬儀屋関係の言葉、これだけ記憶していることが感動もの。カラオケ、よく声の通るいい歌を聴かせてもらった。これも表情がいい。ソノエさんの「野崎詣り」いちまでも若い、大拍手。夫婦春秋のメロディに客席から老夫婦に扮したご婦人二人、ひっついたり離れたり、滑稽に踊ってくれた積りだろうが、私は胸が詰まって仕方なかった。戦争で逝った者、帰還して身を削って今を創り上げた者、本当に私はこの人たちに感謝していたのだろうか、自分を問い詰める時間となった。120名くらいいただろうか、全員心から拍手をしているように見えた。敬老の集いに参加させてもらって、お年寄りに元気をもらうことになろうとは、帰って母に「60年にもなるんじゃのおめでと」と言わずにおれなかった。「ほうなるは、お前61じゃろ」。今の社会、お年寄りを敬う気持ちを持つことで展望が開けるような気がしてならないのだが。
posted by い和 at 21:29| Comment(0) | 日記

2008年09月11日

病室の名札

「これ掛けていいですか?」と看護婦さんが持って来たのは、病室の入口に掛ける名札だった。いつもの私らしく「どっちでも」「看護婦にも分かりやすいので掛けさせてもらいますね」廊下に出ると「おっ出ているな」病室の主になったようで悪い気分でもなかった。大腸ポリープが見つかって、切り取ることになったのである。組織検査の結果を「あんた癌の寸前ですぜ」(入院中藤沢周平を読んでいたのでこんなセリフ)と説明があった時は少しばかりたじろいだ。最近の手術は簡単でいいというが、医師たちは尻(ケツ)の穴に管突っ込んでケーブルを入れ替え差し替え、面白半分(実は真剣で命取りになることもあるそう)にやっているが、エアを入れると膨れて痛いのだ。静かで飯も運んでくれてこりゃ天国と名札をニヤニヤと見つめるのであった。「かかあはもう帰んな、家もいそがしかろて」「もう帰っていいのかいおまえさん」「ああ、とっとと帰んな」昼飯抜きで夕食がきた。おかゆに味噌汁、玉ねぎ炒めに牛乳にパン、あっという間に平らげた。味などはどうでもよかったし腹が減っていると何でもうまいのだ。とにかく昨日は粥ばっかりで、朝から出すだけ出して腹には空気が入っているだけなのだ。本だけ読んで床に就き、朝を迎えた。朝早く看護婦さんが検診に来て熱と血圧を測った。「朝飯はいつだい」「八時でございます」ああ飯が食いてえなあ。お茶が先にきてペットボトルに少し分けてもらった。朝飯がきた。
味噌汁に炒り卵にたくあん、手術の後に漬けもんかいと思った。昼飯、味噌汁に炒め肉、手術の後に肉かいと思った。味噌汁の味は私に合わない、玉ねぎは全部硬い、かあちゃんの料理が早く食べたい。精算をすませ、たった一日かけてあった名札を睨んでそそくさと家に帰った。犬もあめごも私を待っていた。「どうだったで、病気見つかってよかったでえ」妻は優しかった。
posted by い和 at 23:53| Comment(2) | 日記