2009年07月16日

夕暮れ

鮎は沢山いるようなのだが、なかなか掛からないようだし、小さいときている。それでも、毎日誰かは来ているようだが、思いいたらず、うなだれて帰って行く姿を目にする。私もやるが、日中はどうも暑くていけないので、日が落ちてから出かけている。そうは思ったようにはいかないが、5、6匹掛けると日が暮れるという毎日を過ごしている。今日も5,6匹だろう、帰り支度に竿をたたんでいると「ちゃぼっ」と本当に小さな音がする。水辺を見ているとまた「ちゃぼっ」。小さな魚(おそらくあ
めごの子)が水辺で虫を追っているのだ。こんな風景見る人、世の中に何人いるのだろうかと思った。しあわせー、へいわーって感じるこの一瞬。何匹釣った、大きかったじゃなく、自然と話ができる時間、大切ですよね。
posted by い和 at 21:15| Comment(0) | 日記

2009年07月12日

みんなの広場から

 文字の練習に、新聞のコラムを書き写したりしていたことがあった。練習紙が残されていたので記憶のために、記しておきたいとここに・・・・・・・

「だれにでも起き得る登校拒否、そのかわりに直りもする」と解説されていた森田洋司、大阪市立大学教授の一文を読みながら教職現場時代に思いをはせた。

 現代の受験体制のもとで喪失しているものは何だろう。親も教師も、そして子どもたちにも、精神的余裕がないと思う。「早くしなさい!」とまるでロボットみたいに言い続ける親、そして教師たち、画一に、いっせいに、自分で考えるペースで動かそうとするあせり・・・・・・。感受性豊かな子どもたちは、そこからのがれる手段として、登校を拒否するのだと思う。一人ひとりの子どもたちの成長、発達をじっくり観察できるゆとりがあったら「なぜ学校がきらいになったのか」を子どもと語り合い、解決の糸口が見つかるのではないだろうか。ぎすぎすしない、柔軟なバネのある学校の育成こそ、先決問題だと思う。  長崎市 浦田千鶴子  (毎日新聞 みんなの広場 1992.10.20)
posted by い和 at 08:37| Comment(0) | 日記

2009年07月03日

鮎解禁

鮎が解禁になった。私はせせこましく厭らしい人間だから、川でも海でも一人で大きなのを沢山釣りたい気持ちが犇めいている。そしていつもその罰が当たる。解禁日は大水でアウト、3日目は2人が川に見えていた。まだどうも早いようだとは思ったが矢も盾もたまらず行った。先日、支流でシャクッてきたのを囮に泳がせてみるといきなりヒット。んイケるかも、換えた囮はちょっと型がいいので向こう岸まで泳いで行った。そしてすぐに当りが、ぐぐっ、ズシリと重い、これはこれは、ゆっくりゆっくりと引き寄せてくる、重い、まことに重い。2人が両方で見ている。逃がすわけにはいかない。かっこうをつけてゆっくりゆっくり・・・・・が、どうもおかしい、バタバタしない。いまどきそれほど大きなのがいるはずもないのだがはて、近づいてきたのは大きな石ころ。針にがっちりとかかっているではありませんか。出水で石が流れているのがかかったらしい。ああああああああ囮鮎はグロッキー、後は推して知るべし,無残な結末でありました。他人より小さく少なくと考えているのが、よい釣りの秘訣と悟ろうか。あちこちで型のいいのがかかっているというのになあ。
posted by い和 at 20:40| Comment(1) | 日記